2010年11月17日

邪馬台 国 その1

邪馬台国(やまたいこく)とは、3世紀に日本列島に存在したとされる国なのですが、

その伝承は、『 魏志倭人伝(ぎしわじん邪馬台国 卑弥呼 邪馬台国 イラスト 邪馬台国 場所 邪馬台国 大和説 邪馬台国 卑弥呼 邪馬台国 イラスト 邪馬台国 場所 邪馬台国 大和説でん)』に記載されていたことに基づいているとされていますが・・・

ややこやしいのが、『 魏志倭人伝 』という書物は存在しない!!ことです。

「魏書」30巻(「本紀」4巻、「列伝」26巻)、「蜀書」15巻、「くれ書」20巻、計65巻から成る、

中国の西晋代の人陳寿(233年 - 297年)により西暦280年〜290年頃に編纂された『三国志』(さんごくし)と呼ばれる紀伝体の歴史書があります。

この『三国志』の中に、魏から見た周りの諸国について記載された部分があり、これは「東夷伝」と呼ばれます。

その「東夷伝」この中に、高句麗,馬韓,弁韓,辰韓等の諸部族について記した部分があるのです。

そして、その列伝の最後に『 倭 』について記述した部分があるのですが,この部分を便宜上『 魏志倭人伝 』と呼んでいるのです。

東アジア全体の様子を述べるついでに,倭の事も書き加えたという程度なのですが、この中に『 邪馬台国 』と『 卑弥呼 』という語が現れます。
posted by ひみこ at 14:52| 邪馬台国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

邪馬台 国 その2

そして、この『 邪馬台国 』のありかについて、九州説と畿内説との論争が永きに繰り広げられていますが、なかなか決着がつきません。

3世紀半ば過ぎに作られたとされる大型の前方後円墳で、卑弥呼の墓に見立てられることも多い、
奈良県の箸墓古墳(はしはかこふん)ですが、

その周辺調査発見された土器の年代測定を行った結果,ちょうど卑弥呼が亡くなったと言われる時代と一致したという

2009年の発表で,邪馬台国畿内説が俄に活気づいてきました。

しかし,これはあくまでも補強証拠にすぎないのです。卑弥呼の墓と断定できるためには,「親魏倭王」の金印でも出てくれば確実な証拠となるのでしょうが・・・

この箸墓古墳自体の徹底的な調査をなんとか宮内庁が許可してくれれば、非常に面白い結果が期待できるのですが、

宮内庁は、基本的に古墳の発掘調査を許可してくれないそうです。
posted by ひみこ at 14:51| 邪馬台国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

邪馬台 国 その3

何故、宮内庁は、基本的に古墳の発掘調査を許可してくれないのでしょうか?

第二次世界大戦における敗北まで、邪馬台国の存在は国民に知らされなかった!!!という事実をご存知でしょうか?

邪馬台国の存在は、日本の歴史を天皇中心に捉え、万世一系の天皇家が日本に君臨することは神勅に基づく永遠の正義であり、

天皇に忠義を尽くすことが臣民たる日本人の至上価値であるとする価値判断を伴った歴史観である「皇国史観(こうこくしかん)」と相いれないといわれています。

多分にこの皇国史観を拠りどころとするする宮内庁が、積極的に邪馬台国の解明に協力するとはおもえませんが・・・
posted by ひみこ at 14:51| 邪馬台国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

邪馬台 国 その4

発掘が自由な(?)エジプトと比べ何と心の狭い?くになのでしょうか・・・

それにしても、現存する日本最古の書物は、615年ころの聖徳太子の法華義疏とされていますが、それまで我々の先祖は、文字を持たなかったのでしょうか・・・

我が国の歴史なのに、自らの起源の解明を よその国の史料に頼らなければならない・・・というのは非常に哀しい事実です。

それにしても、邪馬台国のありかや実態が判明したとしたら、これがもたらすものとは一体何なのでしょうか?

例えば、王家の谷にあるツタンカーメン王の墓はどうだったでしょう?

紀元前1342年頃 - 紀元前1324年頃の王族の優雅な生活など判明したのでしょうが、

「 これはっ!!!! 」というような、世界の価値観がひっくり返るようなことは一切なかったと思われます。

古代のロマンを追い求めるのも、素晴らしいことですが、実生活に役立てば言うことは無いのですが・・・
posted by ひみこ at 14:50| 邪馬台国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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